自慢話をする人々
自慢話ばかりする人は疎まれやすい傾向にある。
私も高校生の時に自慢話ばかりする友人を持った時に、その子のことを当時とても疎ましく思っていた覚えがある。
「うざい」「お前の話なんて興味ないんだよ」とか。口が悪いネ。
確かその当時のその子の話し方は、グループで共通の話題で話していたはずが突然自分の習い事や恋人や知らん友人の自慢話ばかりしてきていたんだったか。
今思えば酷い態度で対応していたな、なんて、あの子からしたら腹の立つ慰めにしかならないだろうけれど。もしかしたら、彼女なりのグループでの居場所づくりだったのかもしれない。
自慢話ばかりの子を見ると私は、「ああこの子もしかして自分の居場所がわからないだけなんじゃないだろうか」、そう思うのだ。
自慢話、いわば自分語りな訳だけれど、それを繰り返しているということは、自己PRを繰り返しているということじゃないのか。
現状疎まれている、あるいは過去疎まれたことがある子ほど自分語りが多い。
ただただ、周りに自分を認めてほしい、承認欲求の塊なのではないか。
「自分ここが凄いんだよ!」「こんな事して褒められたよ!」「羨ましいでしょ!」子供と一緒なのだ、結局。
最初はそれでいいかもしれない。ただ、その後もし居場所ができたとしても、同じ自慢話は2回目以降は通用しない。誰も褒めてくれやしない。ああまたその話か、と。しかしその後も自慢話ばかり…しかも同じような内容の話ばかりなのは、承認欲求を満たしたい気持ちが増幅するからでは?
誰しも欲深い心は持っているはずで、例外なく「もっと認めて!」「もっと褒めて!」もっと、もっと、と。意識はしてないだろうけど。(してる人もいるのかな、知らんケド)
何度も同じような系統の自慢話ばかりされる側は、「しつこい」と思うようになって、冷たくあしらうようになってしまう。もっと別の面白い話はないのかと。
聞く側も、新しい話題を求めているから、普遍的な話は何度もしていれば飽きる。楽しい時間にサプライズはつきものなのだ。
それに、自分で思うよりも他人は人に興味がないのだ。興味があるのは本当に最初だけ。ある程度相手を知る事ができれば、あとは勝手に役者は揃う。
いつまでも自己PRをしている場合じゃないのだ。
いつも新しい自分でいるために、サプライズのできる人間でいるために、何をすべきか。
普遍的な毎日に自分からサプライズを。
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